幸せを食べて生きる

 

未練たらしい人間は嫌いだ。いつまでもかなしみに引っ張られて、前を向けていない。

そう、それは自分のこと。

怒りや理不尽さを伴うかなしみは、ことあるごとに顔を出す。

  

これは、「色恋沙汰」と言えばそうだし、それで片づけられてしまうような、他人にとってはどうでも良い話である。

 

人(女)から妬まれることがあった。私から大切な人も楽しみも奪い、そして「私のものよ!」と言わんばかりに、敵意剥き出しで接してくるのである。※まあ、そもそも人は誰のものでもないのだが。

「カップル」や「結婚」とは、いわゆる「収まるべきところに収まる」ということだと思った。そう、彼ら彼女らは収まるべきところに収まったのだ、と今では思うけれど、嵐の中ではそうはいかなかった。私も足掻いたし、彼女らもまた足掻いていた。その結果、必要以上に怒りと理不尽さを生み、かなしみの範疇を越えたのである。

 

アラサ―・独身のいま思うこと。

 

私もいつかあの人(女)たちのように、誰かの幸せを食べて満足そうに笑うのだろうか。

そんな風になるなら、一人で生きていく方がよっぽど美しい。