おいしい について

 

「おいしい」というのは、いつ、どんなときに、誰と食べるかだと思う。

 

例えば、「仕事終わり、乾杯のビール」や「風邪をひいたときのおかゆ」みたいなこと。

 

いちばん新しい記憶のなかで、心底「おいしい」と感じたもの。

 

それは「明け方の缶コーヒー」。

 

前置きとして、ここ数年、私は缶コーヒーをあまり飲まない。嫌いなわけではないけれど、要は「舌が肥えてしまった」ということだと思う。田舎娘が都会かぶれ。

本題へ。最近ぐっと距離の近くなった友達と、共通の知り合いのバーで(共通の知り合いだということもこの前日に判明し、それぞれにうれしい気持ちを持ち合わせていたのだと思う)お酒を飲んで、よく話した。途中、知人も合流したりで、またそれぞれに会話が熟していった。そして、今にも瞼が落ちそうな午前4時。「そろそろ」と、店を出た。11月下旬で外は冬の気配がすぐそこまで来ている。「コーヒーでも」と自動販売機で缶コーヒーを奢ってもらった。

あの幸福感に満ちた味は、この先そう簡単に味わうことはできないだろう。